上田令子の経済政策
最低賃金法第一条には
「この法律は、賃金の低廉な労働者について、賃金の最低額を保障することにより、労働条件の改善を図り、もつて、労働者の生活の安定、労働力の質的向上及び事業の公正な競争の確保に資するとともに、国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。」
と、あります。東京都の最低賃金は821円(平成22年10月24日付)。これを、「労働者が暮らしていけない!1000円にしよう!」という動きがありますが、相場を無視して高すぎる価格設定をすることに対して、お姐は懐疑的です。せっかく「労働者の生活の安定」を目的としているはずなのに失業者が増えてしまうかもしれないからです。貧しい人を救おうとした法律が、なぜそんなことになってしまうのでしょうか?お姐の経験をとってお話したいと思います。
お姐は居酒屋の娘でありました。(平成21年3月創業35年の暖簾を下ろしました。御贔屓筋の皆様お世話になりました!)。商家の常として、高校生の頃から店を手伝っていました。商家では丁稚娘も最初は無駄飯食らい。なんの芸もございませんから、当然最初はタダ働きです。そりゃぁそうです。お品書きも憶えてない、お皿は洗った傍から割っていく…「いらっしゃいませ」も「ありがとうございました」もろくすっぽ言えないデクノボウに払うお金は、細腕一本で家計を支える居酒屋の女将には、一銭もない。でも、そんな丁稚娘も、女将に怒鳴られながら、だんだん仕事を覚えて、タダから時給300円、それから500円に、やがて800円に、そして最後は念願の1000円になったのであります。こうして、女将に鍛えられたお姐は、無事金融機関へ就職を果たし、居酒屋の丁稚を卒業したのでありました。
もしも、最低賃金額が1000円だったら、居酒屋の女将は金額に見合う実力を持っている人材を採用し、初心者でなにもできない半人前を雇わないことでしょう。
つまり1000円以上の技術のある人しか労働市場に参入できなくなるといことになり、この法律で一番救いたかったはずの貧しく、まだ技術を持っていない人達、ことに若者を閉め出すことになるのです。
過去の不幸な歴史から、多くの人は、経営者は労働者を搾取するものだという先入観を持ちつづけています。ここでいうと、半人前を1000円払って雇ってあげない女将が金の亡者の悪者といったところ。しかしそんな鬼の経営者の女将も、無能な丁稚娘を時給500円なら雇ってもいいと思っているのです。客あしらいが上手になったら、時給もあげてやろうとすら思っています。そうしなければ、もっといい時給を払うライバル店に従業員を奪われてしまいますから、「顧客満足」をお江戸の昔から是とする経営者-商人(あきんど)というもの-は時給を上げるものなのです。
しかし、“お上”(法律)がもし「500円は法律違反だ、1000円払いなさい」と言ったら、状況は凍りつきます。女将にとって、まだ価値がない丁稚を時給1000円で雇うのは、回収不能な慈善事業に乗り出すようなものです。そんなこと進んでやる、あるいは余裕のある経営者はほとんどいないでしょう。商売はキビシイのです。八百屋・酒屋・肉屋・魚屋・豆腐屋・氷屋・家賃・板さんの人件費を支払い、おっと忘れた!法人税も支払い、ようやっと薄紙を剥ぐような利益を得られるのです。ちょっとでも、気を許したらあっという間に赤字となり、お店はつぶれ、そこで働いていた人達の雇用の全損失に繋がっていくのです。ですから、経営者は必死なのです。今でもお姐は、足袋がボロボロになるまで買い換えなかった女将の働く後ろ姿を思い出すのです。 このように、高すぎる金額設定をした最低賃金法は、経営者にも痛みを押しつけ、高邁な理念に反して、最低賃金法が無くったって、雇用先を見つけられる1000円以上の技術を持つ人達のみが恩恵を被り、これといった技術をまだ持たない人たちの失業をこそ増大させてしまうのです。
そう、最低賃金法は若き日のお姐のような特殊技能のない十代の若者や、特に妊娠出産などで仕事を離れていた女子の失業を増大させてしまうのです。こういう層に異常に高い失業率が見られるのはこの理由によるものです。
「手に職がなくって、仕事がない!? 」
となると、必ず出てくるのが「国が肝いりで職業訓練をすべき!!」という発想。しかし「私のしごと館」の失策を見れば一目瞭然。厚生労働省が09年に補正予算に盛り込み、行われた職業訓練拡充策も、英会話教室やら果てはカルチャー教室にまで補助が出たという笑えない笑い話まであります。
誰が職業訓練をするのか。はい、また居酒屋の女将に登場願いましょう。
そう、お江戸の昔から、お上(国)が教育するより女将。
お客様に叱られ、板さんに諭され、女将さんにどやしつけられ…現場で学ぶほど良い学習は他にありません。 まだ何者でもない未熟者が実力を磨いていくには、どうしたらいいか。それは冒頭から言っているように丁稚奉公。無から色々なことを習い、覚えて昨日より今日、今日より明日をより良く働いて、自ら実力をつけていくことなのです。資格をとるとかそんな、高等なビジネススキルだけじゃない、挨拶ができる、お礼が言える、電話対応ができる、遅刻しない、わずかでも責任を負う…そういう態度や常識を学ぶのです。とても大事なことです。
なのに、最低賃金法があることで、この種の伝統的職業訓練の場が失われるという、皮肉な結果を導きかねないのです。
無能の極みだったお姐が、なんとか今日まで食っていけるようになったのは、伝統的職業訓練、女将の「愛の鞭」により成長でき、次の段階に進むことができたからなんですね。
人間に一番大切なのは「働くこと」。自分で自分を一生食べていかさなければならないのですから、安心して働き続ける保障が欲しい生き物です。そのために、政府に何かして欲しいと思うのも人情。だけど、安心というのは、個人の自由のもと、努力した結果得られる果実です。仮に政府からもらえるとしても、自分で手に入れたものよりもずっと小さく、スイカとサクランボくらい違うことを、まずは、賢明なる国民が気づかなければなりません。
さぁ、そろそろお気づきですね?
貧しく経験のない労働者を苦しめるという本当の金の亡者の正体は結局誰だと思いますか?
お姐は、短絡的発想で余計な介入をし、労働市場の均衡を崩すような規制をすることこそ自分のシゴトだと大きな勘違いをしている政府だと考えています。そうならないために、政府の舵取りをするのが、他ならぬ私たち政治家なのであります。
参考文献
『政府からの自由』(『プレーボーイ』インタビュー)